The Exhibition of Group JAMA's Special Program ―Box Arts―
グループJAMA特別展―ボックスアート―




2008/03/24〜30 in Communication Area , Acros Fukuoka
アクロス福岡 コミュニケーションエリア




会場内風景

 
 

出品作品


「got be real」
藤江 効平

「私の居場所」=「私の身体」

私がここに居るというのは、
身体からの信号が教えてくれる。
「満腹感」「睡眠欲」「けだるさ」「痛み」「幸福」、
これらの身体からの信号は、
他人のにおいのしない私だけのものだ。

箱に閉じ込めたピースたちは
体を通してきた信号の形。
その形に私の体が切り取り、色を塗り、
線を書き込んだ。

箱の中は、日々の生活の中に私が「居た」ことの
メモがあふれている。


「got be real」
藤江 効平

「私の居場所」=「私の身体」

私がここに居るというのは、
身体からの信号が教えてくれる。
「満腹感」「睡眠欲」「けだるさ」「痛み」「幸福」、
これらの身体からの信号は、
他人のにおいのしない私だけのものだ。

箱に閉じ込めたピースたちは
体を通してきた信号の形。
特に腸などの内臓を意識した。


箱の中は、日々の生活の中に私が「居た」ことの
メモがあふれている。



「got be real」
藤江 効平

「私の居場所」=「私の身体」

私がここに居るというのは、
身体からの信号が教えてくれる。
「満腹感」「睡眠欲」「けだるさ」「痛み」「幸福」、
これらの身体からの信号は、
他人のにおいのしない私だけのものだ。

箱に閉じ込めたピースたちは
体を通してきた信号の形。
特に体の中を走り回る鉄や電気など
見えない形を意識した。

箱の中は、日々の生活の中に私が「居た」ことの
メモがあふれている。



「原風景1 
〜風通しのいい〜」
有冨 祥恵

もの心つく頃から18まで住んでいた団地の4階

ベランダから眺める佐賀平野は

ただもうだだっぴろくて

空が大きかった。

明るくて、開放的、乾燥気味で、
風通しがいい場所。

これがわたしの原風景。

わたしが大好きな、わたしの居場所。



「原風景2〜雲模様〜」
有冨 祥恵

小さい頃、寝入りばなによく見た夢。

 空中の、霧の中、私はぴんと張られた糸の上に
寝かされている。
金縛りにあったように動けないのに
その糸の上を水平移動している。

いつ落下するか分からない恐怖と緊張感。

 今の私は、散歩のとき、
遠くから連なる雲の模様を
のんびり観察したりするけれど

こんな緊張感も
自分の居場所なんだろうなあ、と思う。

「心の森」
三戸 綾乃

 「自分の居場所」とは家や職場などの単なる固定された物質的空間ではなく、自分の心が満ちるとき、心から落ち着いて自分が自分らしくいられるときなど心の作用によって、そこが「自分の居場所」になると考える。それは友人との何気ない会話をしているときだったり、布団の中でごろごろしているときだったりする。 そんな心が満ちる瞬間、私は自分の中に何かが充電されていくような感じを受けるのである。空っぽだった湖に水が流れ込んできて次第に元気になっていくような、まるで私自身がひとつの「森」になったかのように感じるのである。木が水を吸い上げ、陽の光を浴びて息づくように、心が満ちるとそれをエネルギー源として、体の細胞が吹き返すように感じるのである。 そこで作品タイトルを「心の森」と題して自分の居場所を感じる瞬間(心が満ちる瞬間)をイメージした作品制作を試みた

「私だけの居場所」
世良 伸幸

「私は私だけの居場所を持っている」
私は、木と対峙し、左手にノミをにぎり、
槌で打ち込む時や、彫り込む感覚、樟の木の香りを感じるとき、満たされた気持ちになる。
この気持ちを思い出したとき、
これが私の居場所なのだと気づくことができた。
そしてそれは、他者を介しない、
木と格闘するなかで生み出されていく、
純粋に私だけの居場所なのだ。
自分を保つための居場所だ。
そこに居ると私は自分を取り戻せる。
このことに気づいて私の違和感はなくなった。
作品は、これまでの制作の中で出た木くずを
使い、私の居場所の痕跡を封じ込めた。
それは私の居場所の残骸であり、
樟の香りはその空気である。
自分の居場所とは「他者との世界」と
「自分の世界」の相関関係の中にあるもので
、この相反する世界に私の居場所はあり、
そのどちらにも自分の居場所は存在している。


「相関関係」
世良 伸幸

「自分の居場所は自分だけのものではない」

他者との関係の中に自分の居場所がある。
一人で居るようでも、
どこかしら他者の存在が介在し、
完全に自分だけの居場所にはならない。
逆に、他者がいるからこそ、
自分の居場所を感じることができる。
人間関係はくっついたり離れたり、
包んだり絞めつけたり、
そうした相関関係の中に居場所がある。
作品の中では、
木の板(突板)を丸めて作った筒が
Boxの世界で互いに関係(くっついたり包んだり)
しながら存在し、
人がそれぞれの居場所を作っている
姿を表した。
このように考えた一方で
自分の中にある違和感が生まれた
「他者との世界とは別に
自分だけの居場所があるのではないか?」
こうして生まれた疑問を
もう一つの作品で模索した。

「枝」
鶴田 正和

幼いころから 空を見上げることが好きだった。
小学校低学年のころはノートに
ほんの少しの平原と大きな夕焼け空を
何枚も何枚も描いた。

今回、「自分の居場所」を探そうとして
無意識に「空を見上げた」私がいた。
大人になって見上げた空には
たくさんの枝が覆いつくす血管のような
シルエットがあったが、その枝の向こうには
幼いころ見た空が今も広がっていた。
生きている時間が長ければ長いほど、
自分を構成する要素が増えてくる。
本当は今すぐにでも、
無限に広がる青空に向かって
飛んでいきたくなる時もあるが、枝は私の心を
しっかりと支えてくれる大切なものなのだと
感じる。だから私は枝を描く。

枝は私を支えてくれる家族、友人、仕事仲間、現象、感情、社会、すべての要素だ。


「交差線」
鶴田 正和

自分を構成する場所=居場所と考える。
自分を構成する場所は、
自分が存在する場所すべてだ。
つまり、「自分の居場所」とは
自分が行くところすべてが
居場所になってきたはずだ。
自分の人生はいろいろな出来事、出会い、
影響、経験、体験、が作り上げている。
それは私に直積的なものはもちろん、
自分とまったく関係のない人たちの行動でも、
間接的に自分の人生に
影響してくることもあると思う。
今、私は心を開放しながら人生を
謳歌していると心から感じる。
そんな気持ちにしてくれているのは、
私が直接的、間接的、偶然的に受けた
すべてのものだ。
この作品はそうした気持ちを元に、
メージを連想させながら、
思いつくままに描き続けてみた。
ここに描かれたものすべては
私の人生で構成された結果だと思う。
居場所はこうした要素で構成されてきたのだ。



「静と動」
向井涼子

「自分の居場所」について考えてみると
周りの人たちによっていろいろな
場所があると思った。
大きく分けると自分を見守ってくれる人たち
自分をアクティブにしてくれる人たち。
一つの居場所が別の居場所に
影響を与えることも多く
そこから考え方や人付き合いの幅が
広がっていく
けどそれは計算されたものではなく、
シンプルである。
それらを私なりにBOXの中に表現してみた。

小さなつくりの違いが大きくデザインに
変化をもたらしたり
見る角度によって強調される色が変わったり
デザインのおもしろさを感じれたらと思います。



「cross road」
井上 留美子

人生が道だとすると、そこには分岐点がいくつもある。
道は、一本ではなく、葉っぱの葉脈や
毛細血管のように網の目状に広がっている。
人はそこが分岐点だと気づかずに
通り過ぎることも多いと思う。
それでもそれは自分が選んだということなのだ。

「自分の居場所」とは、
過去の自分の行動によって作り上げられた
現在の自分の存在、周りの環境だと思う。

過去の自分の選択が違っていれば、
今の「自分の居場所」は
まったく違っていただろう。

これから先の「自分の居場所」は
今の自分によって作る事が出来るということだ。



「ぽっぽ」
江尻 亜理沙

幼い頃住んでいた
小さくて無機質な生活の暮らし
近くにとりあえず必要なものはあり
外の世界を望むことはなかった
そこにどこからか鳩が舞い込んできて
一緒に住むようになった
鳩のぽっぽは
我が家の小さなベランダにすみかを作り、
好きな時に眠りにきて
好きな時にご飯をもらいにきて
大事の時に卵を産みにきた
そこで生まれた新しい命が2つ
最初は黒くて大きすぎて
全然かわいくなかったけれど
毛が生えてすくすくと育ってやはりまたどこかへ飛んでいった
ぽっぽはいつでも自由で
気が向けばすぐに空に飛んでいける
私の知らない場所にすぐに飛んでいけるのだ

私も遠くに飛んでみよう
そう決めた



「不安定」
内田 雅之

「私の居場所」について。
物理的な「場所」か?頭?心?体?時間?状況?
色んな要素の中から今回、現在の自分の状況や、
環境について考えを進めてみます。
私の環境はいつも「不安定」。テンパっています。
あると認識したものがなかったり、突然現れたり。
感情も価値観も欲望も時間とともに変化して、
まるで観測する毎に変化する量子論みたいです。
なので、「私の居場所」もずっと定まらず
「不安定」なままで、時間が経過した後にはじめて
「○○だった」と定義できるのだと思います。
めまぐるしい日々の生活の中、
ふっと訪れる眩暈感。
そんな時に感じるのは、
決して暗い要素ばかりでなく、
むしろ、心地よい疲労感の中であがいている自分を
楽しんでいる事に気づく。
私は「不安定」な居場所を楽しんでいる。



pleasure」
張麻美

楽しいことがたくさんある空間は
居心地が良いのです。
大きな楽しみ、
小さな楽しみ、
悲しいこともちょっぴりスパイス。
うれしいときも
悲しいときも
楽しく過ごせる空間がワタシの居場所。
色。
冷たい色よりも、明るく暖かい色に
囲まれているとウキウキしてくる。
感触。
硬いものよりも、柔らかくて
フワフワしているものの方が心地よい。
形。
とがっているよりも、丸いほうが痛くない。
キレイに揃っていなくていい。
ごちゃごちゃしているのは
愉快な気分になれるから。




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作家であるJamaメンバーと 作品の紹介
Artists of Group JAMA and their works
Khohey Fujie 藤江効平
Yoshie Aritomi 有冨祥恵
Nobuyuki Sera 世良伸幸
Masakaz Tsuruda 鶴田正和
Ryoko Mukai 向井涼子